「特権階級の侍を保護しますか?」と「反論」を読んで・・

4月11日のブログに対して次のようなメールが届く。

 「保護しますか?」の論点は、マクロの視点で例外を除いた史実を踏まえた議論を展開しているようです。幕府・代官所の威光が後ろ盾の日田の掛屋も大名貸しで踏み倒されています。返済期限の延長や返済率の悪いのが大名貸しだったと記録されています。例えば、府内藩、森藩、小倉藩などが未返済と記録が残っています。また、江戸時代初期には五公五民だった年貢が、後期の日田の百姓の年貢は八割を越していました。

江戸中期の義民・穴井六郎右衛門の江戸越訴の場合は、時の岡田代官が幕府の享保改革を受けて、年貢を十年間かけて六十四%から七十三%に9%増加した。そのため、百姓が食えないと窮状を訴えたものです。藩校や咸宜園などの高等教育は上流階級だけのものでした。咸宜園の入門簿によれば、塾生は苗字のある武士、僧侶、医者、豪商および庄屋ばかりです。庶民や百姓の中で経済的余力のある子弟だけが今の小学校にあたる町の寺子屋に行っていました。

ちなみに、公務員の経済面は、日田市職員の平均年収は約六百五十万円で日田市民平均年収の二倍以上です。国家公務員と比較してもラスパイレス指数が101.9で、日田市職員の給与が国家公務員より高いという事実があります

一方、「反論」は、ミクロの見方で、侍の全体像でなく、少ない例外事例を基に議論を展開しているようです。木を見て森を見ずの議論のようです。江戸時代と現在の特権階級の比較という視点が重要だと思います。町奉行が農工商階級の犯罪を取扱っていました。町奉行は武士に対して捜査権がないため、お咎め無しが一般的でした。庶民は無礼な態度だけで切られていました。「無礼者」の一言で理不尽な惨殺をされるのです。上杉鷹山の改革は数少ない成功例なので歴史に名が残りました。

でも、ほとんどの藩は改革できず借金の踏み倒しをしています。利息さえ払っていない藩が多々あります。通常であれば二度と貸してもらえませんが、大名は権力を笠に着て借り続けています。商人は断れないのです。これが江戸時代の封建制度です。徳政令とは鎌倉・室町時代の士族を対象としたものです。士族の借金の抵当である土地を、返金なしで棒引きし抵当の土地を士族に戻したものです。これに味をせしめた士族はたびたび土一揆を起こし幕府に発布を要求しています。ここに特権階級としての武士確立の萌芽が感じられます。水呑み百姓の極貧と下級武士の清貧を同列に語っているようですが、同じレベルの貧しさですか。下級武士でも水呑み百姓からみれば立派な家に住んでいます。江戸時代に何度も飢饉がありましたが、餓死したのは庶民と水呑み百姓で、武士が餓死したとは聞きません。

また、事例に映画のストーリーを引用し、史実でないものを論拠に使っていますが、これは反論を補強する材料になりません。「遠山の金さん」や「水戸黄門」を映画やテレビを見て、その知識で江戸時代の侍、庶民を語っているのと同等です。質素な暮らしは天皇、将軍、大名、武士、庶民に共通のものです。これが日本人の良いところです。「武士の俸給は一石も上がっていない」これはもらう側の論理で、年貢を徴収される側は不作であっても何も保障はありません。また、インフレの影響は俸給の米も同様です。米価が上昇し他の物価も追従する形のインフレが起こっていました。

従って、米がベースの給与は、インフレにタイムラグなしで完全にスライドして上昇しています。医療については、現在の皆保険制度ができるまで庶民から遠い存在でした。江戸後期に医者に診てもらえたのは咸宜園入門者の階層でした。「保護しますか?」は公務員制度の改革が必要であると主張しています。このメインテーマの主張に対して「反論」者の意見が書かれていません。例外事例や枝葉末端の議論でなく、また、いわゆる世俗的な知識による議論の組立ではなく、一歩突っ込んだ史実・事実を織り交ぜての、的を得た批評を期待します。

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