全国学力テスト公表に思う・・・

大分県の教育汚職に端を発し、教育委員会への風当たりが日に日に強まっている。県内にはいまだに縁故による教員が沢山いると想像され、特に全国には、親子・一家教育家という名士は多数存在している。

以前に議会一般質問で質問したことがあるが、そもそも教育委員会とは何の為にあるのかを問いただしたことがある。教育委員会は戦後、例の米軍GHQの指導の下で1948年に設置され、民主主義とともに地方分権、教育の中立性を目的に法整備されたものである。

その後60年を経過して、教育委員会の強大な権限と官僚主義的な組織によって、隠密に物事すべてが決まってしまうという弊害が、県教委の汚職などで表面化してきた。いわば第二次大戦に負け、すべてアメリカの言いなりになってきた結果が、今の日本の姿でもあろう。

団塊世代が育った私達、昭和40年頃までは学力テストや知能テストなどは当たり前に実施されていた時代があった。この世代はベビーブームと言われ、同学年の生徒数が200万人ほどいたので競争は日常であり、努力しないものは蹴落とされていたのである。

その後、日教組や教育委員会が強大になってきて、ゆとり教育、大学全入時代へ変化してきた。誰も努力なしに一定のランクを手に入れる事が出来る便利な時代が到来してきた。しかし、その結果はどうだろうか?

最近は、今の若者はちょっと嫌な事があると怒り、憎み、ひいては引きこもり、凶悪な刑事事件やニートと呼ばれる無気力な若者を大量生産してきているのが現実であります。「競争は悪」という短絡的な理解の教育関係者が多すぎて、物事の本質を見落としているとしか思われない。

「競争」は昔から言われる熟語「切磋琢磨」にも言い換えられる。競争は時として、相手をかばい、相手を尊重し、相手を愛していく思想を育む効果が大きいとも言える。そんな意味でも、大阪府の橋下知事の発言は勇気のある発言であると思う。

どこの自治体の首長でも、憎まれ口は言いたくないものです。あえてこの様な発言をして、世論に訴える橋下発言は大歓迎である。現在の諸問題の根っ子となるキーワードを彼は真剣に主張しているように見える。

全国学力テストもその一例でしかない。この学力テスト発言は、一気に全国的な問題となり、文科省も放置できない事態になってきている。大きな問題になるという事は、関係方面や一般人に様々な意見や改良方法等を議論するチャンスを提供し、真剣な議論が期待されるものである。

日田市内の小中学校で全国学力テストの結果をホームページなどで堂々公表している学校もある。当然かもしれない。市民が情報公開で知る権利もあると思う。教育委員会の偉い方々がなぜ、競争の効用を説かずに、逆に臆病なのが全く理解できないものだ・・・

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